音楽とか文化とか

その時々に考えたことをとりあえずメモしています

消えゆくマスターテープについて

音楽ソフト2013年年間マーケットレポート、2年ぶり前年比減〜オリコン発表


音楽ソフトの売り上げが右肩下がり、というニュースは珍しくもなくなってしまった。そんな中にもかかわらず、レコード会社などコンテンツメーカーを非難する声があることに、音楽好きの私は、どうもやるせなさを感じてしまう。今日はそんな渦中に、人知れず埋もれている事について書いてみたい。

良く知られていることだが、レコードにはマスター音源(マザー)がある。私は昭和後期に青春を送った世代だが、マスターというと、幅広のテープを想いだす。

MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~

 

このNHKの番組をご覧になられたは多いと思う。非常に素晴らしい番組だった。荒井由美のファーストアルバム「ひこうき雲」の収録秘話を、当時の録音メンバーがマスターを聴きながら語るという内容。音に耳を傾ける面白さがヒシヒシと伝わってくる。

番組中語られるエピソードに、録音スタジオのプロフィールがあった。田町にあったアルファスタジオ。番組ではさらっと流れてしまうが、このスタジオは、もう今はない。切ない話だが、今では録音スタジオの需要は本当に減ってしまっている。

たとえば、若い頃ソニーといえば信濃町スタジオだった。故郷関西に浪花エキスプレスという素晴らしいバンドがあり、ファーストアルバムを信濃町スタジオで録った。上京して日本随一のスタジオでファーストアルバムを録音。それだけのことだが、若い頃の私には、とんでもなく夢のような話で、純粋にあこがれたものだ。その信濃町スタジオも今はもう無い。

話がそれました。スミマセン

マスターテープというのは、リアルタイムにその音に親しんだ人だけでなく、後世にも伝えるべき、かなり大事な文化的所産ではないでしょうか。それが失われると、リミックスもリマスターも出来なくなってしまう。音楽コンテンツメーカーは、このようなマスターテープの所有者であり、保管・保守コストを負担し続けている、という大事なことが世間から忘れられていることが、最近気になってきています。

音楽コンテンツメーカーも営利企業。利益を生まないものは排除していかざるを得ない。泣く泣く古いマスターから処分しているのではないでしょうか。
質量的には、おそらくマルチトラックテープの時代が、一番かさばって重いのではと考えられます。つまり私の世代のマスターは、一番保存コストがかかるのでは、と。

最近ふと懐かしくなり、若い頃に親しんだ音源を買い直しているのですが、このお布施がマスターテープの延命に寄与してくれたらなあ、などと思うのです。

音楽産業は文化発展の当事者でもあり、その活動自体が、文化的所産を生む。その所産は大きい目でみれば国民の財産でもある。でもその保守管理は、消えゆく倉庫の片隅でかろうじて細々と続けられている。灯が消えないよう頑張らねば。

ライブハウスまわりの著作権の基礎を整理してみる(後編)

先週に引き続き、ライブハウスまわりについて話を進めていきます。今日は、一部ではホットになっている2つの問題について基礎を整理していきます。


3 セットリストに自分曲が混じる場合、手続きはどうなるのか


前回、冒頭でお伝えしたように、著作権者への手続きが必要になるのは、カバー(コピー)した場合、つまり他人さまの作った曲をやる場合のみです。自作曲の権利は自分が持っている訳ですから、当然他人の著作権はからみませんし、手続きの必要はありません。 ただし、普段、他人の権利、特に法律上の権利とかに接点がない方には、見落としがちな点が幾つかあるので、書き残そうと思います。

考えるまでも無いことですが、もし自作曲に他の著作権者がいる場合には、その人の了解は事前に得ておく必要があります。たとえば作詞・作曲が分業だった場合、例え作曲者であっても、作詞者の了解は必要です。また、著作権は譲渡可能、という点にも注意が必要です。つまり譲渡先が有る場合は、そちらにも注意を払わなければなりません。

たとえば、インディーズ・メジャーを問わず、自作曲がCDに収録されて全国的に市販されているような場合、音楽出版社著作権譲渡契約を結ぶことが多いです。このような場合は、音楽出版社著作権者になりますから、たとえ自作曲と言えど、きちんと了解を得る必要があります。

音楽出版社JASRACに信託している場合、JASRACの了解も必要になります。JASRACへの委託は、他の管理事業者と違い、「信託」という特別な方法で行われます。信託の特色は、権利行使の権限がJASRACに譲渡される、ということです。これにより著作権が侵害された場合に管理事業者が自ら対応できるメリットが生まれます。
たとえば海賊盤が出回った場合、関係者全員に了解を取り付けてから告訴してると、犯人が国外逃亡するようなケースもある訳ですが、こういう危機的な場合に信託は強い効力を発揮します。

余談になりますが、共同著作の場合に知っておくべきナレッジがあります。一点目は、例えバンド全員で創作したとしても、グループ名や団体名で共有するのは、得策ではない、ということです。著作権法では、団体名義とした場合、存続期間を死後50年ではなく「公表から50年」としているからです(著作権法53条)。たとえば、マルーン5の「THIS LOVE」という大ヒットした作品、メンバー5人での共作ですから、作詞作曲=マルーン5、と出来る訳ですが、全員のクレジットがあります。

また、作詞作曲が分業の場合でも、双方合わせて共同著作にすると、片方が早く亡くなっても、もう片方が長命すれば、存続期間が長くなる、という利点があります。つとに有名な話ですが、LENNONMCCARTNEYは若い頃、自分たちの作品は共作でなくても共同名義にしようと誓ったそうで、実際そのおかげで、早逝したレノンの分も、ポールの死後50年まで保護されることになった訳です。実際にはビートルズ時代に彼らは勉強不足だったために自らの著作権を手放してしまう結果になってしまうのですが...。彼らの著作権にまつわるこの「ノーザンソングス」という本を読むと、クリエイターなど文化芸術に関わる人間にとって、自らの創作環境を守るために、正しい法律知識がいかに重要かということを思い知らされます。

話がそれましたが、話を自作曲の問題に戻します。
ライブハウスを経営されている方にしてみれば、JASRAC包括契約を結ぶ場合、他人の権利がからまないような自作曲や、著作権が消滅した曲とかが多いとどうなるの?と思われますよね。

その場合、お店のひと月の総演奏時間から、JASRAC非管理曲の演奏時間を差し引いて、計算すればよいと思います。JASRAC包括契約は、使用料規程によると、月間10時間、30時間、60時間、60時間超の4区分になっています。ビートルズ・バーとかだと60時間程度にはなるでしょうが、若者メインの箱貸しライブハウスだと10時間とかが妥当なケースも多いと思います。キチンと筋の通った話をする限り、法令を守らねばならない立場のJASRACより、有利に交渉を進めることは可能ではないでしょうか。払いたくないから追い返そうとか、あからさまにバレるようなごまかしをするのは、法律に照らすと得策ではないように思います。JASRACの交渉担当者にどんどん規則などを聞いて、知識を蓄えた上で、その知識をもとに経費を最小限に抑えるのが最善ではないでしょうか。


4 誰が手続するのか

ライブハウスでの著作権の手続きの当事者は、バンドメンバーなのか、ライブハウス経営者、どっちなのか。この問題について整理したいと思います。

まずは法律とかお堅いこと抜きに、モラルのことから話を始めさせてください。
これは私ひとりの思い込みなのかもしれませんが、ハコ主とバンドメンバーでは、ハコ主が年長者で、バンドメンバーは若者であることが多い。総じて世間の約束事とか、法律や規則など社会のルールを理解してるバンドメンバーは希少なのではないでしょうか。
それにライブハウスの収益をハコ主が管理し、バンドメンバーより立場が強い場合が圧倒的に多い。このようにお金の面でも、ライブの実効支配の面でもハコ主が強い状況では、法律うんぬんを抜きにモラルの問題として、ハコ主が大人の責任を果たすべきと思うのです。
たとえば、村のお祭りに神楽の一座を呼ぶのは、氏子総代とか、地域のオトナたちの仕事です。氏子連中は、神社の収益や自分たちの寄付金から、神楽一座にひっそり謝礼を出したり、近隣住民に配慮したりしている。若者のあずかり知らないところで、粛々とこういった大人の責任を果たしている年寄り連中が居る。ライブハウスのハコ主は、地域の音楽文化にとって、こういった年寄り連中と良く似た存在なのではないでしょうか。

さて、お堅いほうの話に進みます。
実は著作権法には、誰が手続の当事者(利用主体)か、という条項はありません。もっぱら判例によって、利用主体性を判断する要件が積み重ねられています。

ちなみに著作権管理の世界では、お店で演奏される場合、奏者ではなく、お店の経営者となる、というのは、世界的にみてごく当たり前の話だそうです。そもそも世界初の著作権管理団体、SACEM(フランス)は、1800年代半ばに、とある作曲家が、自作曲を無断で演奏していたレストランを訴えた(=奏者ではない)ことが契機となって設立されました。


しかし日本には、そういった世界情勢とは逆行するように誤解されがちな判例(千葉公会堂浄瑠璃事件・大正5年1月27日千葉地裁判決)があったため、昭和30年代まで、バンドメンバーに責任を押し付ける興行主やハコ主が多かったそうです。
JASRACが出した資料「JASRAC70年史」によると、この妙な日本の情勢を改めるべく、昭和30年代から法廷闘争を始めたことが読み取れます。最終的には、昭和63年に至って初めて最高裁判例が出て、ハコ主が利用主体であると決着したようです(クラブキャッツアイ事件・昭和63年3月15日)。

ハコ主は店に集う若いバンドマンに著作権手続きを押し付けるのではなく、彼らを見守る温かいまなざしを持つことも大事なのではと、私は思うのです。 

ライブハウスまわりの著作権の基礎を整理してみる(前編)

学生時代をすごした町には、ユニークで楽しいライブハウスがたくさんありました。今思えば、非常に恵まれた音楽環境だったと思います。1960~80年代、そこから全国区の音楽家がたくさん出たのも、こういった環境と無縁ではなさそうですね。ライブハウスは、地域の音楽文化の拠点であり、新しい才能のインキュベーター(孵卵器)でもあるんでしょうね。

1 そもそもなぜ著作権手続きが要るのか。しかも事前に


さて、今日はこのライブハウスにまつわる著作権について基礎を整理してみたいと思います。
ライブハウスに限らず、自作曲以外のカバー曲、つまり他人の作品が演奏されるケースでは、著作権について考える必要が出てくるようです。著作権法は、非営利の演奏を除き、事前に著作権の手続きをしなければならない旨を定めているからです(第22条、第38条1項)。
非営利の演奏、と判断されるには、要件が3つあります。

(1)営利を目的とせず
(2)名目を問わず観衆から料金を徴収せず
(3)出演者に報酬(ギャラ)が支払われず

ことライブハウスの場合、この3要件のどれかに引っかかるので、やはり著作権手続きが必要になるということですね。

ちなみに、著作権が消滅していれていれば、その分は手続きの必要はありません。日本人の楽曲の場合、消滅は死後50年。洋楽だと国によって戦時加算があるので、最長10年5か月程度延長される場合が多いようです。ちなみにドイツやイタリアは日本と同じ敗戦国なので戦時加算はありません。

さて、この手続き。著作権法に沿えば、原曲を作った作詞・作曲家ひとりひとりに対して行うことになりますが、実務ではJASRAC日本音楽著作権協会)など管理団体へ手続きすることが殆どです。管理団体は、作詞・作曲家から著作権を預かり、手続きの窓口になっているんですね。

この手続き、基本的には事前に行う必要があるそうです。めんどくさいですね。
何故、事前にやらんといかんのか。このウラには、やはり法律があるんですね。

著作権法民法の特別法、つまり民法が「親」で、著作権法が「子」の関係にあるそうです。この民法に「物権」というのが定められているんですね。簡単にいえばモノを所有する権利です。そのせいか、子である著作権には「物権チックな権利」という性格があるそうです。(専有権 / 第21~28条)

例えば、消しゴム1個にも物権はあります。友人なら黙って使っても見過ごせますが、知らない人が勝手に自分の消しゴムを使ったら、ムっとしますよね。これが家だったら。見ず知らずの人が勝手に上り込んできたら、警察呼ぶぞ!という位にシリアスです。そこで物権には、妨害排除請求権(出ていけ!)、妨害予防請求権(勝手に入るな!)という強力な権利が付与されています。そして著作権にもこれが認められています。(差止請求権 / 第112条)

他人の作品を使うとき、あらかじめ「いいよ!」を貰う必要がある背景には、こんな法律が背景に潜んでいるんですね。無断で使うのは、例えわざとじゃなくてもNGとなります。(不法行為 / 民法709条)

ちなみにCDなどへの録音、歌詞や楽譜の出版、コンサートなど、セットリストが早い段階で決まっている利用分野では、事前に1曲1曲ていねいに手続きする慣習が業界に確立しています。(曲別許諾)

2 包括許諾ってなんだ

話がそれましたね。
ライブハウスに戻ります。

ライブハウスでは、日ごとにセットリストが変わり、たくさんの曲が使われます。なもんで、事前に「いいよ!」を貰うのは非常にめんどくさいです。毎回のライブごとに、事前に曲別許諾を取るのは、かなりしんどそうです。

ちなみに、JASRACのライブハウス料金表(使用料規程)には、一応、曲別料金もあるようです(19頁 別表8の2)。でも出演グループ全部のセットリストをキチンとまとめて事前に届けるのは、本当に目が回りそうです。期間限定とか、月数回のみのライブならともかく、通年営業のハコでは、事前にきっちりやるのは、相当根性がいるのではないでしょうか。

このようにセットリストを事前に出すのが困難なケースについて、ユーザーの負担を軽くするために、著作権管理の世界では包括許諾という方式があるそうです。おそらく欧米の著作権団体が始めたんでしょうね。JASRACも、放送やライブハウスなど、大量の作品が使われ事前の曲別許諾が難しい分野で、この方式を採用しています。

ライブハウスで包括許諾を取る場合、使用料は月極め料金になるようです。コインパーキングと月極め駐車場の関係と似てますね。使用料規程で曲別と通年利用の包括料金を対比してみると、こんな感じのようです。(7頁別表1と19頁別表8の2)

 包括 月額 21,000円(40座席、標準単位料金3,000円、月間30時間までの演奏)

 曲別 単価 140円(40座席、標準単位料金3,000円)

つまり 21,000 ÷ 140 = 150曲、上記の条件の場合だと、月に150曲が境界線になるということですね。しかし実際のところ、わずかな金額のプラマイよりも、事前にセットリストを出さなくても良いという点こそが、包括許諾の大きなメリットではないかと感じます。

包括契約にすると、JASRAC管理楽曲は何でも使ってOK、だそうです。これは使う側からするとちょっと得したような気もします。反面、作詞・作曲家側からすれば、どの曲を使ったかがわからなければ、自分たちの取り分が判らない、というデメリットが出てきます。このバランスをとるため、JASRACはサンプリング調査というのをやっているようです。(参考:JASRAC HP 使用料が分配されるまで


このライブ部というサイトを見ると、全国に約4,380カ所のハコ(ライブハウスとホール)が登録されています。そのうち200人までのハコをライブハウスと仮定すると、東京都の比率(200人まで627カ所/全1,175カ所)から、約2,330件という数字が出てきます。

サンプリング調査というと、放送の視聴率が有名ですが、ビデオリサーチは、関東地区約1800万世帯に対し、600世帯のサンプリング調査をしているようです。これに対し、JASRACは四半期ごとに800件と公表しています。4半期で公演日が60日程度とすると、800公演/約14万公演(2330件×60日)、比率にすると 0.5% ということですね。モニター機器で丸一日調べられる視聴率調査と、人力に頼り公演時間分をモニターするセットリスト調査では、統計的な母数の設定が違うのかもしれませんね。

このサンプリングの頻度は、使う側と作った側の利害が真っ向から対立するポイントと思います。特にセットリスト作成の人件費を誰がどういう風に負担するか、という点で。

しばらく前の日経社説に、放送の包括許諾について、「ITを使った仕組み」を提案する記事がありましたが、日経ですら、誰がセットリスト作成経費を負担するかという点には触れていませんでした。JASRACが負担すればいいじゃないか、と短絡的に思ったりもしますが、これは最終的に使用料か手数料に上乗せされる可能性が高い。とにかく、サンプリングの精度を上げると結局コスト負担をセットで考えなければいけない。結局、どこでバランスをとるかの問題なんでしょうね。

 

このライブハウスまわりの問題、基礎だけでも意外と奥が深いですね。続きは来週にしようと思います。

(次回予告)

3 セットリストに自分曲が混じる場合、手続きはどうなるのか

4 誰が手続するのか

 

囲い込みの得失 ~専有権と報酬請求権~

新しいビジネスモデル、たとえば一昔前なら iTunesGoogle といったサービスを始めるにあたり、日本のメーカーやキャリアーなどは「日本は著作権者の力が強すぎて踏み出せない。これでは海外勢に負けてしまう。」と言うことがありました。これについて考えてみようと思います。
新しいビジネスにストップにかける「力」というのは、具体的には法で定められた権利、著作権法では、第17条~第28条に定められた「専有権」を指します。簡単にいえば、著作物の利用を「ひとり占め」して良い権利です。他社にしてみれば、NO!を突き付けられるとビジネスを停止させられてしまう、非常に怖い権利です。

この専有権というもの、他の知的財産権(特許権、意匠権など)では、ごく当たり前のことなのです。知的財産権は、知恵を出した人の労苦を認め、一定期間、独り占めにしていいよ、と国が認める制度。権利の使い方(権利行使)の基本は「ひとり占め」にあるんですね。

ひとり占め、とは聞こえが悪いけど、研究開発や制作に莫大なコストがかかることを思えば、回収のため一定期間ひとり占めを許さないと、誰もリスキーなチャレンジをしなくなります。
タイトルの「囲い込み」というのは、この「専有権」の行使を指します。

日本のメーカーやキャリアーなどの不満は、せっかく築いたビジネスモデルを、この「囲い込み」を武器に崩されてはたまらない、という点にあります。確かに検索エンジンのサーバが国内に置けないなど、長い目で見た場合に日本の損失が大きくなり、海外に負けてしまう危険があります。

囲い込みは、一見権利者にメリットをもたらすけど、国 vs 国のように、大きい目で得失を考えると、国レベルでは損失が発生することもあるのだと思います。

これをうまく調整する方法を考えていくことは、国の発展を考えるうえで、けっこう大事なことなんでしょうね。

今、専有権の反対の極にある「報酬請求権」について考えはじめています。囲い込みは許さないけど、お金だけは戻ってくるようにする権利です。まだ始めたばかりで何もまとまっていないのですが、いずれ書いてみようと思います。

鍵になるのは、レコードメーカーや地方の放送局など、囲い込みがないとビジネスが成り立ちにくい場合、どう切り盛りするかに知恵をひねることかと。ムズカシイ。

追伸、この記事、いろいろ考えさせられます。野心は良いけど、野蛮にまでは成り下がりたくないなあ、と。

スマートTV中国席巻 緩い著作権、ネット動画見放題:朝日新聞デジタル




障壁画と工房から

今年の5月、京都東山七条の智積院に、長谷川等伯の障壁画を見に行って来ました。

収蔵作品|総本山智積院 長谷川等伯一門 国宝障壁画

実物のスケール感はインターネットや本で見るのとは大違い。迫力に圧倒されます。長谷川等伯狩野永徳、俵谷宗達、といった時代の転換期(安土桃山~江戸初期)に活躍した巨匠の大作は、時代の躍動感そのままに強いインパクトを感じさせてくれます。

30代半ば頃からこれら巨匠に惹かれるようになったのは、彼ら自身が卓越した芸術家であるのは当然として、それ以外に、工房を主宰するディレクターやプロデューサーの仕事もしていた、という面に興味を持ったからでした。

一人では為せない大作を、仲間をうまく率いて完成させるエネルギーの大きさに気付いた時、背筋が寒くなるような感動を覚えたんです。

ウィキペディアによると、長谷川等伯は32歳で石川県七尾から上洛、生家の菩提寺の本山から庇護を受けながら、絵を描いて売る「絵屋」として生計を立てていたそうです。まずは地縁を頼って中央で仕事を始めた、ということですね。
その後、利休が依頼した大徳寺三門での仕事が評価され、中央画壇に地歩を築いたようですが、引き受ける時は度胸が要ったことでしょう。このあたりの動きは、一介の画工が総合アートディレクターに転身していくドラマのように感じます。
等伯のように自身の優れた才能のみならず、人を使って更にスケールの大きな仕事へ昇華させるような才能。私の場合、社会経験をある程度積んで初めて、ようやくそのすごさに気付いた次第です。

このようなダイナミックなアートワーク、現代では映画製作に典型を見ることが出来ますね。映画は本当にたくさんの方の仕事が一つの作品に集約されている。映画のメイキングビデオを見ると、多くの人の知恵と汗が集まるありさまが良くわかります。

ニコニコ動画で有名なドワンゴの川上さんは、いっときスタジオジブリに「弟子入り」されたようですが、その目的の一つは、ジブリの卓越したグループワークの本質を知ろうとされたのではないかと思います。

 【参考】かわんご(川上量生)非公式bot (kawango_bot) on Twitter


川上さんは炯眼で、例えば「ジブリは続編を作らない」という見立てには、なるほどと唸らされたのですが、真摯に創作にチャレンジする工房の姿というのは、それ自体がひとつのドラマのように見えるんでしょうね。

さて。
私は社会経験を積んだ後で、以上述べたようなことに興味を持っただけに、当然大人の常識として、台所事情のほうにも興味が向きました。創作活動を続けるには、当然お金が必要ですもんね。著作権ロイヤリティに関わる仕事をしてますから、なおさらお金がどういう風に動くか、ということには目が向きます。

ちょっと生々しいけど、現在TPPで交渉のテーブルに上がっている著作権の存続期間延長問題を、このような「創作のしくみ」に照らして考えると、しくみの違いによって感じ方が随分変わるように思うのです。たとえば。

 個人・・・夭逝した場合、子の養育資金として存続期間は必要。
      でも死後70年もいらないような。
 工房・・・過去のヒット作から収益があれば、次の作品の資金になる。             長くもらえるのはありがたい。

というふうに。
実はもう一つ、存続期間延長問題にかかわる当事者があります。それは投機筋。著作権は譲渡できるから、儲け話として投機買いされるような場合もあるんですね。
こういった人たちが存続期間延長を声高に叫ぶと、庶民感覚的には印象は悪くなる一方なんでしょうね。

アメリカではミッキーマウスの著作権消滅を回避するため、某社が著作権存続のロビー活動に励んだ末、存続期間が延長されたとよく耳にしますが、某社がジブリのように、新しい創作に精を出しているのなら、庶民感覚的にも多くの同意が得られることでしょう。でも、もし過去の栄光にすがり、利権にあぐらをかいているだけなら、誰もそんなところにシンパシーを感じないんでしょうね。

ちょっと某社に懐疑的な書き方をしてしまいましたが、某社も新作映画を発表し、娘はこの作品が大好きだったりします。
http://www.disney.co.jp/monsters-university/


今回は展開にちょっと無理がありましたね(汗)スミマセン。
めげずに考えを深めていきたいと思いますm(__)m

コストを軸にロイヤリティを考えてみる

むかし、とあるジャズミュージシャンが自作曲入りのリーダーアルバムを作った際、著作権をどう管理するかで話をしたことがありました。

そのアルバム、彼から聞いた話をまとめると、とあるプロデューサーが彼の演奏を気に入り、レコーディングから発売までを全てフィックスしてくれたそうです。おおむね費用分担は以下のようになっておりました。

  参加ミュージシャンに払うギャラ・・・プロデューサー負担
  録音スタジオ費・・・プロデューサー負担
  原盤制作費・・・プロデューサー負担
  流通経路・・・プロデューサーが全て交渉しリスク負担

つまり彼は大して費用のかからない音楽制作(作編曲、演奏メンバーの調達、指揮)のみに注力すればよく、費用が発生する部分は全てプロデューサーに任せていたんですね。
最初に話を聞いた時、まあ優しいプロデューサーだ、と思いました。よっぽど彼に惚れ込んだんでしょうね。プロデューサーは30代前半の若者だったように記憶しています。要するにそのプロデューサーは、彼の作品を世に出すため、初期コストを、全部抱え込んでくれた訳です。

彼が私と話をすることにしたのは、自作曲の著作権料が、自分の全く預かり知らない「音楽出版社」というところから振り込まれるのが、さっぱりわからない、しかも著作権料は全部自分のもののハズなのに、自分の取り分が50%になっているのがわからない、という疑問について、一緒に考えるためでした。


以上のように手順を追ってお伝えすると、この疑問を解く「キモ」は、初期コストの負担や、作品が世に流通する際のリスク負担を、だれが負うか、というおカネの問題と関係があることに気付いていただけると思います。

とりあえず私は彼に対し、「プロデューサーはあなたに一銭も費用負担を求めなかったし、全部出してくれたんですよね。ならば著作権料の50%は、プロデューサーが初期投資した分のロイヤリティなのかもしれません。そのプロデューサーは会社を持ってなかったんですよね。実は個人事業主は、著作物使用料を取り扱う[音楽出版社]の立場にはなれないんですよ。ですので、その音楽出版社に頼んだんじゃないでしょうか、手数料を払って。」と答えました。

残念ながら、彼はどうしても「著作権料は作者である自分ひとりだけのもの」という固定観念から抜け出せず、プロデューサー非難を繰り返すだけで、結局本質的な理解が得られないまま話を終えることになってしまいました。私の話し方も拙かったでしょうね。理解の得られる話し方が出来なかった、という点で、返す返す残念な思い出のひとつです。

作品がどれだけ売れるかわからない準備段階で、初期コストなどのリスクを負担するのって、非常に勇気のいることだと思います。もし力のあるプロデューサーなら、リスクを全てレコード販売会社などに押し付けることも可能でしょう。でもこの話の30代前半のプロデューサーは、どう考えてもそこまでの力はない。

結局そのプロデューサーは、著作権料の一部で、初期投資を回収することにしたと、これを読むみなさまは容易に推測いただけると思います。実は初期投資の当事者が、ロイヤリティ(著作権料)の恩恵にあずかる立場になることって、洋の東西を問わず、当たり前のことなんですね。
つまり、著作権ロイヤリティというのは、クリエイターにとっては、それを担保にスポンサーから出資をあおぐためのツールでもある、という発想が必要なのだと思います。今はお金がないけど、この作品が売れればロイヤリティが入り初期投資を回収できますよ、さらに配当(著作権料の分配)に預かれますよ、と。

よくネットでCDの売り上げの内訳比率、というのが出ています。以下のようなものですね。
  ①CD製造原価   7%  CD盤そのもの、ケース、歌詞カードなど
  ②著作権使用料   6% 作詞作曲者に入る著作権使用料
  ③アーティスト   1% アーティストに入る歌唱(実演)印税
  ④宣伝広告費  15% あとは宣伝費⇒そして小売店、レコード店への協力費
  ⑤物流経費            20% 倉庫代・輸送費
  ⑥小売店取り分 25% CDショップなど小売店の取り分
  ⑦レコード会社 30% 営業経費・再販返品償却費・管理費・原盤制作・利益


でもこの比率の本質的理解は、これだけでは舌ったらずなんだと私は思います。この項目を、ロイヤリティなのか、ギャランティなのかに分け、ロイヤリティを貰う当事者が誰なのかを把握することが大事なのだと。そうすると、ロイヤリティの恩恵が、出資者と結びつくことがよくわかるはずです。
  ギャランティ・・・①、④、⑤、⑥、⑦(原盤制作と利益を除く)
  ロイヤリティ・・・②、③、⑦(原盤制作と利益)


こういった制作や流通にまつわるコストとロイヤリティの知見は、これから作品を世に出そうとするクリエイターやプロデューサーには、本来必須のものだと思います。でも実社会では経験知的にしか伝わっていないように感じるのです。
日本の作品を本気で海外に広める時代、このような実質的な経験知をもっと重要視する必要があるのでは、と思うのです。

プレイヤー(演奏家)を軸に考えてみる

まず初っ端はプレイヤーを軸に考えてみることにしました。

 

いきなりコムズカシイ書き出しで恐縮なんですが、まずはギャランティとロイヤリティについて触れたいと思います。

ギャランティ、俗にいう「ギャラ」は一回ポッキリの請負料。それに対しロイヤリティは、売り上げのたび入ってくる従量制の報酬と考えられます。プロになりたてとかの若い方は、収入というと前者「ギャラ」ばかりに目が行って、「ロイヤリティ」にはなかなか関心がいかないケースが多いと思います。

でも文化の伝達者としてご自身の成果をながーく世に伝えるためには、ご自身の収入の確保や管理も大事なこと。これからの時代、海外に演奏の場を求められることも多いと思います。ロイヤリティについても基礎的な知識を持っておくことは、とても重要だと思います。

 

プレイヤーのロイヤリティの基礎となる権利は、「著作権法」という法律に規定されています。著作権法において、プレイヤーには「実演家(著作)隣接権」という権利が認められています。「隣接権」とは、著作物(=楽曲)を広める仕事にたずさわる人に認められる、著作権と同じような権利です。実演家以外にも、「レコード製作者(原盤を作った人)」や放送局、有線放送局にも認められています。どんな権利かをかいつまんで言うと、

 ・録音したり録画したりする権利

 ・放送したり有線放送したりする権利

 ・ネットで配信する権利

 ・公衆にCD/ビデオをレンタルする権利

などがあります。つまり、自分のプレイが入ったコンテンツが世に出ると、レコード会社、放送局、ネット事業者、レンタル屋さんに対しては、ロイヤリティを請求する権利を持つことになるのです。

ここまで書いてて、自分でも法律の解説なんて実につまらんと思います。スミマセン。ここからが本番です。ここからの発想が大事だと思います。

 

実演家隣接権の特徴は、レコーディング・ビデオ撮り・公共電波に乗る、のいずれかを経て初めて発生する仕組みになっています。裏を返せば、自身が関わるそういうコンテンツが生まれるときは、ロイヤリティについてどういう約束(条件)になるのかを、しっかり意識しておく、ということが大事なんだと思います。やっかいなことに、実演家隣接権は「買い取り」が可能なんですね。だから実演家は知らない間にしれっと自分の権利を売り渡している場合が多々あると思います。とにかくメディアに残る仕事を頼まれたときは、どんな条件になるのかを把握しておくことは、オトナの常識として損はないのかと思います。

あまり居丈高に「隣接権上はどうなってんのさ!?」なんて口調でクライアントに言ったら、クライアントも退いちゃうから、まずはソフトに確認するところから始めて、繰り返し仕事がくるようになったら、だんだん条件を良くしてもらう、とかも戦略的に良いのかもしれません。

 

最後にもう一つ。日本の法制では、実演家は著作権者よりも行使できる権利が少ない隣接権者に位置付けられていますが、実演家を著作権者と同等に扱う国もあるのです(ただしレコーディングをした場合)。

実演家の意識が高まり、うまく政治を活用していけば、日本でも実演家の権利がもっと向上していく余地があるのかもしれないと思います。

ささっとハイクオリティなオーケストレーション入りのレコーディングが作れてしまう日本は、アジアの中では、奇跡的といっていいほどに、高度に文化水準が発達したのだと思います。しかし日本はこういう文化をしかるべき収入に換えていくことが、とても下手というか知ら無すぎるように感じるのです。裏を返せば、いいように叩かれてる。

活躍の場が海外に拡大していくこれからの時代、ロイヤリティや実演家隣接権といった自身の足元について、きちんと理解・管理していくことは、とても大事なのだと思います。