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ライブハウスまわりの著作権の基礎を整理してみる(後編)

先週に引き続き、ライブハウスまわりについて話を進めていきます。今日は、一部ではホットになっている2つの問題について基礎を整理していきます。


3 セットリストに自分曲が混じる場合、手続きはどうなるのか


前回、冒頭でお伝えしたように、著作権者への手続きが必要になるのは、カバー(コピー)した場合、つまり他人さまの作った曲をやる場合のみです。自作曲の権利は自分が持っている訳ですから、当然他人の著作権はからみませんし、手続きの必要はありません。 ただし、普段、他人の権利、特に法律上の権利とかに接点がない方には、見落としがちな点が幾つかあるので、書き残そうと思います。

考えるまでも無いことですが、もし自作曲に他の著作権者がいる場合には、その人の了解は事前に得ておく必要があります。たとえば作詞・作曲が分業だった場合、例え作曲者であっても、作詞者の了解は必要です。また、著作権は譲渡可能、という点にも注意が必要です。つまり譲渡先が有る場合は、そちらにも注意を払わなければなりません。

たとえば、インディーズ・メジャーを問わず、自作曲がCDに収録されて全国的に市販されているような場合、音楽出版社著作権譲渡契約を結ぶことが多いです。このような場合は、音楽出版社著作権者になりますから、たとえ自作曲と言えど、きちんと了解を得る必要があります。

音楽出版社JASRACに信託している場合、JASRACの了解も必要になります。JASRACへの委託は、他の管理事業者と違い、「信託」という特別な方法で行われます。信託の特色は、権利行使の権限がJASRACに譲渡される、ということです。これにより著作権が侵害された場合に管理事業者が自ら対応できるメリットが生まれます。
たとえば海賊盤が出回った場合、関係者全員に了解を取り付けてから告訴してると、犯人が国外逃亡するようなケースもある訳ですが、こういう危機的な場合に信託は強い効力を発揮します。

余談になりますが、共同著作の場合に知っておくべきナレッジがあります。一点目は、例えバンド全員で創作したとしても、グループ名や団体名で共有するのは、得策ではない、ということです。著作権法では、団体名義とした場合、存続期間を死後50年ではなく「公表から50年」としているからです(著作権法53条)。たとえば、マルーン5の「THIS LOVE」という大ヒットした作品、メンバー5人での共作ですから、作詞作曲=マルーン5、と出来る訳ですが、全員のクレジットがあります。

また、作詞作曲が分業の場合でも、双方合わせて共同著作にすると、片方が早く亡くなっても、もう片方が長命すれば、存続期間が長くなる、という利点があります。つとに有名な話ですが、LENNONMCCARTNEYは若い頃、自分たちの作品は共作でなくても共同名義にしようと誓ったそうで、実際そのおかげで、早逝したレノンの分も、ポールの死後50年まで保護されることになった訳です。実際にはビートルズ時代に彼らは勉強不足だったために自らの著作権を手放してしまう結果になってしまうのですが...。彼らの著作権にまつわるこの「ノーザンソングス」という本を読むと、クリエイターなど文化芸術に関わる人間にとって、自らの創作環境を守るために、正しい法律知識がいかに重要かということを思い知らされます。

話がそれましたが、話を自作曲の問題に戻します。
ライブハウスを経営されている方にしてみれば、JASRAC包括契約を結ぶ場合、他人の権利がからまないような自作曲や、著作権が消滅した曲とかが多いとどうなるの?と思われますよね。

その場合、お店のひと月の総演奏時間から、JASRAC非管理曲の演奏時間を差し引いて、計算すればよいと思います。JASRAC包括契約は、使用料規程によると、月間10時間、30時間、60時間、60時間超の4区分になっています。ビートルズ・バーとかだと60時間程度にはなるでしょうが、若者メインの箱貸しライブハウスだと10時間とかが妥当なケースも多いと思います。キチンと筋の通った話をする限り、法令を守らねばならない立場のJASRACより、有利に交渉を進めることは可能ではないでしょうか。払いたくないから追い返そうとか、あからさまにバレるようなごまかしをするのは、法律に照らすと得策ではないように思います。JASRACの交渉担当者にどんどん規則などを聞いて、知識を蓄えた上で、その知識をもとに経費を最小限に抑えるのが最善ではないでしょうか。


4 誰が手続するのか

ライブハウスでの著作権の手続きの当事者は、バンドメンバーなのか、ライブハウス経営者、どっちなのか。この問題について整理したいと思います。

まずは法律とかお堅いこと抜きに、モラルのことから話を始めさせてください。
これは私ひとりの思い込みなのかもしれませんが、ハコ主とバンドメンバーでは、ハコ主が年長者で、バンドメンバーは若者であることが多い。総じて世間の約束事とか、法律や規則など社会のルールを理解してるバンドメンバーは希少なのではないでしょうか。
それにライブハウスの収益をハコ主が管理し、バンドメンバーより立場が強い場合が圧倒的に多い。このようにお金の面でも、ライブの実効支配の面でもハコ主が強い状況では、法律うんぬんを抜きにモラルの問題として、ハコ主が大人の責任を果たすべきと思うのです。
たとえば、村のお祭りに神楽の一座を呼ぶのは、氏子総代とか、地域のオトナたちの仕事です。氏子連中は、神社の収益や自分たちの寄付金から、神楽一座にひっそり謝礼を出したり、近隣住民に配慮したりしている。若者のあずかり知らないところで、粛々とこういった大人の責任を果たしている年寄り連中が居る。ライブハウスのハコ主は、地域の音楽文化にとって、こういった年寄り連中と良く似た存在なのではないでしょうか。

さて、お堅いほうの話に進みます。
実は著作権法には、誰が手続の当事者(利用主体)か、という条項はありません。もっぱら判例によって、利用主体性を判断する要件が積み重ねられています。

ちなみに著作権管理の世界では、お店で演奏される場合、奏者ではなく、お店の経営者となる、というのは、世界的にみてごく当たり前の話だそうです。そもそも世界初の著作権管理団体、SACEM(フランス)は、1800年代半ばに、とある作曲家が、自作曲を無断で演奏していたレストランを訴えた(=奏者ではない)ことが契機となって設立されました。


しかし日本には、そういった世界情勢とは逆行するように誤解されがちな判例(千葉公会堂浄瑠璃事件・大正5年1月27日千葉地裁判決)があったため、昭和30年代まで、バンドメンバーに責任を押し付ける興行主やハコ主が多かったそうです。
JASRACが出した資料「JASRAC70年史」によると、この妙な日本の情勢を改めるべく、昭和30年代から法廷闘争を始めたことが読み取れます。最終的には、昭和63年に至って初めて最高裁判例が出て、ハコ主が利用主体であると決着したようです(クラブキャッツアイ事件・昭和63年3月15日)。

ハコ主は店に集う若いバンドマンに著作権手続きを押し付けるのではなく、彼らを見守る温かいまなざしを持つことも大事なのではと、私は思うのです。