音楽とか文化とか

その時々に考えたことをとりあえずメモしています

ウナ・セラ・ディ東京と岩谷時子さんと

昨日から、なぜか「ウナ・セラ・ディ東京」の切ないメロディが頭から離れなくなり、この曲について思いを巡らす週末を過ごした。

この曲のファーストレコーディングは1963年。作詞は岩谷時子さん、作曲は宮川泰さん。ずいぶんオトナになってから、このコンビは故郷関西に縁が深いと知り愛着が出たのだが、かねて尊敬していた宮川さんはともかく、岩谷さんについては全く知らなかった上に、恥ずかしながら詞はほとんど味わっていなかった。

岩谷時子さんは1916年生まれ。西宮市で成長期を過ごされ、名門・神戸女学院大学を卒業後、当初、宝塚歌劇団出版部に勤められた。編集のキャリアを積む中で文才に磨きをかけられたのだろう。36歳で訳詩を手掛け、その後、素晴らしい歌詞の数々を世に送り出された。

この作品を出したとき、岩谷さんは47歳。ちょうど今の自分と同い年ということになる。頭を離れなくなったのは、実は、この歌詞の主人公の気持ちについて思いを巡らしたからだった。

主人公は別れたことを悲しんではいない。別れから時が過ぎようやく落ち着いた頃のようだ。なのに、そんな彼女の目に涙がにじむ。

そうか「涙を落とす」じゃなく「涙がにじむ」だったのか、と今更ながら気付いた。主人公には感情を鎮めようとする強さがあるのだろう。自分は男性ながら、そんな彼女には愛おしさを感じてしまう。

ブリッジ(サビ)で彼女は、別れた人が自分に思いを残しているだろうか、と追想する。ふつう女性は別れるとキレイさっぱり忘れ去るものと理解していたが、彼女は違う。そして「とても淋しい」と非常に、非常に素直に独白する。ふつうこんなに素直に「淋しい」という言葉を、大人は言わない。もとい言えない。

彼女の淋しさは「忘れられない自分」ゆえだったのか。それとも「新しい恋を見つけたであろうあの人」ゆえだったのか。それとも違う理由だったか。
そのあたりのメンタリティは、自分にはまだ理解できないのだが、悲しくはないが涙がにじむほど淋しい、と素直に言う彼女に、ふと寄り添ってあげたくなるような心持ちがしてしまう。岩谷さんは、実は男心をくすぐる名人だったのかも知れない(笑)。

偶然知ったのだが、今日10月25日は岩谷さんの命日だそうな。「もっと歌詞をかみしめなさい。歌を味わい、歌を楽しみなさい。」と岩谷さんはおっしゃてくれたのかも知れない。