音楽とか文化とか

その時々に考えたことをとりあえずメモしています

放送分野の音楽著作権管理の将来像を考える(2)

次にサンプリング分配について復習してみます。

サンプリング分配も、本来あるべき「曲別徴収・曲別分配」の対極にある「妥協点」にすぎないことは、多くの方が思うところです。ただし、本来あるべき姿に持っていくには、昔より安くなったとはいえ、相当のコストと手間(電算処理費と人件費)がかかることは間違いありません。

技術の進歩によって、サンプリング分配から脱却すること可能性が見えた、との報道も見受けましたが、これまでの報道は、全曲報告のシステムの維持管理を、放送局と著作権管理事業者の、どちらが、どのように負担するか、という視点が全く欠けていました。

この問題には、非常に難しい側面があります。

たとえば、放送局が全面的に曲目報告システムの経費を負担すると、一見、権利者側はコスト負担を免れ、得をしたように見えます。でも、放送局傘下の音楽出版社が、これだけ有力になっている現況では、システムの公正性に、根源的な問題を抱えるリスクが、権利者側に生じると思われます。

使用料を払いつつ、子会社で分配を受けるような当事者が、分配システムを管理するのは、公正なシステムを維持する上でのリスクとなるのは間違いないでしょう。放送利用の曲目報告システムは、放送局傘下の音楽出版社をはじめとする特定のメジャーに牛耳られない、中立的な仕組みがないと、公正性においてリスクとなると考えられます。

サンプリング分配は、公取の新たな審決をひかえ、過渡期にありますが、短絡的に独占排除のみに終わると、著作権システムの国際的な与信が崩れ、国の将来にも悪い影響を及ぼしかねない火種をかかえると考えられます。

公取は、大手寡占を解消するだけの短絡的な結論に終わるのではなく、国の文化的所産を国際社会の中で発展させていくのに最適な、公益的かつ公正な方便を、審決に盛り込んでほしいと願っています。

放送分野の音楽著作権管理の将来像を考える(1)

「包括許諾」と「サンプリング分配」の復習

放送では楽曲が大量に使われます。そのため、音楽著作権の権利処理では、ユニークな方法が採られています。「包括許諾」と「サンプリング分配」です。

まず「包括許諾」の復習からはじめましょう。

著作権法は「専有権にもとづく事前申告」を利用者に求めています。しかし、大量使用を前提としている放送利用では、曲ごとの事前申告は、実質不可能です。このため、一定額の使用料担保と引き換えに、全レパートリーの利用を一旦認めてしまい、曲目報告を後に回すことを許す「包括許諾」という方法が考えだされた訳です。遅くとも前世紀前半に西欧で考え出された、伝統的な許諾方法です。

この方法、権利者にとっては、決してベストとは言い難いものです。

それでもこの方式が採用される理由は、主に利用者側(つまり放送局)の利点にあります。この方式により、放送局は、コストと手間を一定に抑えつつ湯水のように楽曲を使えるようになります。

包括許諾を許さざるを得なくなる背景には、必ず利用者側に何がしかのアドバンテージが存在します。放送局の場合、そもそもメディアの覇者として強力なこと。飲食店の場合、無許諾利用してもバレない、見つかりにくい、ということなどです。

権利者からすれば、本当は曲別許諾が望ましい訳ですが、手間とコストがかかる。そんな権利者と放送局のシーソーゲームから生まれたのが「包括許諾」なのでしょう。

この「包括許諾」方式の鍵は、権利者側が大量のレパートリーを持っていないと、放送局にメリットが生まれないため、成り立ちにくい点にあります。放送利用を扱う著作権管理が団体が、世界的に見て、ことごとく集中管理スタイルである理由は、放送分野での包括許諾が最大の要因になっていると考えられます。

包括許諾の背景には、メディアの覇権者である放送局に対し、権利者側(つまりクリエイター)が、根源的に弱者である構図が見て取れます。このような視点に立つと、集中管理制度は、メディアの覇権に対抗するための、立場の弱い権利者側がもうけた「盾」で、包括許諾は、それでもなお権利者側の弱さを露呈する「妥協点」だった、とも考えられます。

(つづく)

米国の演奏権管理事情について整理してみる


7月にこんな記事が出ていました。

キャバクラのJASRAC著作権使用料は米国と比べてどうなのか

ネットで公開されているJASRACの使用料と、米国の大手管理団体・ASCAPおよびBMIの使用料を比較する内容です。ASCAPの料金を把握していないなど、試算内容が早計にすぎるのですが、ともかく米国のほうが著作権料が安いようだ、と思われたようで、日本の店も洋楽オンリーなら、ASCAPやBMIから許諾を取れたら良いのに、とのご意見を公開しておられます。

米国に大手演奏権団体が2つある理由

この記事をきっかけに、米国の大手演奏権団体、ASCAPとBMIについて改めて簡単に整理しておこうと思い立ちました。

まず、どうして2団体あるのかを見てみましょう。このBMIについてのウィキペディアの記述が非常にわかりやすいのでご紹介します。英語版をそのまま邦訳したものらしく、非常にわかりやすく簡潔にまとめられていると思います。

Broadcast Music, Inc. - Wikipedia


要約すると、2団体となった経緯は、以下の事情だったようです。

1.もともとはASCAPしか無かった。
2.ASCAPは戦前、放送局に対し強く値上げを求め、利用を拒んだ。
3.その対策として放送局は自ら管理団体を設立した。それがBMI
4.BMIは、ASCAPの弱点をたくみに突いてメンバーを獲得した。
5.当時のASCAPの弱点は2つ。
6.ひとつは、ベテランや売れ筋の作品に加算して支払われる「階層制」(two-tier-system)。
7.もうひとつは、当時のASCAPが黒人音楽(Jazz/Bluesなど)やフォーク系(Country/Folkなど)を避けていたこと。


そもそも管理団体の運営維持コストの多くを占める「作品台帳」「支払明細台帳」などのシステムは、団体が複数あれば、その分手間がふえるわけです。つまりこれら台帳を管理する電算システムの維持コストは、団体が少なくなるほど節約できる訳です。

それでも2団体が存立しうるのは、歴史的には、先発のASCAPに、「支払いシステム」と「音楽ジャンル(背景には人種問題か)」の両面において、少なくとも戦前の頃には、差別的な扱いがあったことが発端のようです。現在、権利者は、次にのべるように、分配システムの特色によって、両団体を選び分けているようです。

権利者から見るASCAPとBMIの選択

米国には演奏権団体が複数あるにせよ、同一作品が双方の団体に預けられると、あまりに利用者に不利益(二重払いが発生する)なので、不可能となっています。作品毎に預け先を特定する必要があります。

この預け先の選択について明示的にガイドしている文献は少ないのですが、とある音楽ビジネスの翻訳書を読んだ記憶では、ASCAPは年配の個人作家に配慮された分配システムにメリットがあるようです。公的年金制度が発達していない事情が背景にあるのだと思います。
かたやBMIは、特にサンプリング対象とするローカル有線放送(アメリカはケーブルテレビなのど有線放送が発達している)に特色があり、地方色の濃い音楽やジャズなどの作品には有利なようです。

利用者から見る複数団体制

利用者から見ると、団体が複数あるメリットは、実質的にかなり少ないと思われます。

どちらかのレパートリーだけで済ませられるなら、片方のライセンスだけで済むので使用料が安くなるかもしれませんが、曲別ライセンスならともかく、お店での演奏などで良く用いられる包括ライセンスを選ぶ状況では、どちらかのレパートリーのみにコントロールするのは、なかなか困難が伴いそうです。ちなみに、曲別ライセンスは事後報告では取得できません。不法行為が先行することになるからです。

事前申告を旨とする公正なユーザーには、団体が複数あっても、双方の使用料が安くない限りメリットがありません。そして使用料が安くなると、こんどは権利者が不満を持ち、何のための複数団体?ということになってきます。

米国に複数の演奏権管理団体があるのは、人種問題と、ベテランや売れ線に有利な階層的な分配(根底にあるのは公的年金制度が薄さではないか)があったからで、そういう問題が無い限り、大きな目で俯瞰すれば、演奏権を複数団体で管理するメリットは薄いように私は感じます。

ただしJASRACのように、管理団体が大手寡占で実質単一に近い場合は、公正な分配システムや運営形態など、ガバナンスをしっかりしておくべきなのは、いうまでもありません。監督官庁の指導、議決権を持つ会員・役員による正しい進路選択、公正取引委員会の国際的な著作権管理システムへの理解、競合他社から見ても正鵠を射た政策、などが大事なのかと思います。

ジャズとスタンダードナンバーと

恥ずかしながら、本気でスタジオミュージシャンになりたいなどと夢想していた10代後半のころ、当時はポピュラー音楽の技法を体系的に学ぶ方法も限られていたし、とりあえず軽音楽部(ジャズ研)に所属し、地元のジャズスクールに通いつつ技法を学んだ時期があった。もう30年近く前になる。
そんな名残か、今でも一応、ジャズには愛着がある。その一方、好きでジャズの世界に入ったわけでもないから、冷めた目でジャズを見ている部分もある。

当時、まず練習の題材にするため、有名なジャズチューン(曲)を覚えていったのだが、その折、いわゆるジャズスタンダードナンバーというものが、昭和初期〜中期に生まれた、えらい古い楽曲であることを知った。決して嫌いではなく、むしろコードの響きなどは気に入ってたのだが、「こんな古い曲、どんな人がよろこんで聞いてくれるのだろう。」などと当時率直に思ったりした。

もちろんオトナっぽいシックさや、ノスタルジックな雰囲気は、ホテルのラウンジやレストランのBGMにはもってこいだが、私のような1960年代生まれ世代には、軽音楽部員など一部を除いて、同世代の愛好者はまれだった。

ほどなくレストランでの演奏のアルバイトをするようになって、昭和30年代初頭ころに青春時代を迎えた世代には、スタンダードナンバーが割と喜ばれることを知った。当時そういう世代は50代後半で懐も温かく、たまにはおひねりを頂けるようなうれしい経験もさせていもらった。

あれから30年。その自分がいよいよ50代に突入する。

ふとジャズ演奏を聴きたくなることは、今でもあるのだが、どうも古いスタンダードナンバーへの執着はない。むしろ若いころに練習の題材として嫌になるくらい聞いたから、もっと後の時代のなじみのある曲を聞いてみたい、という思いが強い。リズムもスウィングでなくていっこうに構わない。

ジャズは、元の素材に対して、即興で「フェイク」というか「派生版」を奏でるフォーマットだし、素材(楽曲)は本来、聴き手のニーズにあわせて選んでくれると、聴くほうもうれしくなるに違いない、と私には思えてならない。


ジャズの本質的な良さは、素材を自由に料理する柔軟性の面白さと、耳にやさしいアコースティックな響きの心地よさと、小さなハコで身近に聞ける気さくさ、そんな点にあるように思う。スタンダードナンバーの呪縛を離れ、自分たちが青春時代に親しんだ、より愛着のある曲を、ジャズフォーマットで、じっくり聴いてみたい。ふとそんな思いにかられた。

 

 

 

とあるマスターと宮川泰さんと

今から10年ほど前。大阪でとある初老の元ドラム奏者と出会った。
彼は大阪城にほど近い京橋で飲食店のマスターをされていたが、店内にはそのマスターがドラマーとして活躍していたころの写真が一杯飾ってあった。

番組終了後にスタッフ全員で撮影したようなスナップショットで、仁鶴さんや間寛平さんと共にマスターが写っていた。まだ在阪キー局が生番組でミュージシャンを起用する予算が潤沢にあったころに、マスターが一流のプロとして電波の中でも活躍していたことが見て取れた。

マスターとはビジネス目的で会ったのだが、私自身が妙にマスターの人柄に惹かれたこともあり、一通りビジネスの話を終えたのち、プロドラマーだった折の昔ばなしを聴くことができた。まだ大阪が経済の都だったころの華やぎが伝わってくる話ばかりで、いずれも興味深かったが、その中でも、特に心に残ったのが、梅田コマでの話だった。

1960年代のことだろう。当時、美空ひばりの大阪公演が梅田コマで行われていた。ご存知のように梅田コマは単発公演用のハコではなく、同じ演目を何回も繰り返し公演するハコである。当時の彼女の人気ぶりがうかがえると同時に、そこでドラムの仕事を得たマスターの実力と、当時は羽振りが良かっただろうことが、それだけでも伝わってくる。

心に残ったのは、その梅田コマでのひばり公演を終えた後の話であった。
当時、美空ひばりは多忙を極めていたせいか、録音のため東京に戻る時間すらなかったらしい。そこで公演がはねたあと、そのままオケとスタッフを残し、舞台で録音をするという恵まれた仕事があったそうな。当然当時は今のような恵まれた機材などあろうはずはなく、2チャンネルの一発録りだった由。

マスターの話を拝聴しつつ、ダブルもといトリプルヘッダー公演での疲れをものともせず、深夜の一発録りに全神経を集中する当時の「プロ意識」や「音楽への情熱」のすごさに思わず唸ってしまったが、そこでタクトを振ってたのが宮川泰さんだったと聞いて、絶句するような衝撃を受けた。

高度成長期に活躍した日本の音楽作家には、舌を巻くような「ド天才」がたくさんいたことに気付いたのは、20代後半のころだったろうか。その中でも郷里・関西に縁の深い宮川さんは、自分が宇宙戦艦ヤマトにワクワクした世代だったことも手伝って、ひときわ親しみとあこがれを感じていた。

1990年代、宮川さんは紅白歌合戦蛍の光のタクトを振ってられたが、そのコミカルな動きに隠された、ものすごい知性に気付いた折にも衝撃を受けたので、宮川さんには、二度に亘って衝撃を受けたことになる。

宮川さんの作品には、顕著なカッコよさがあることを、学生時代に軽音楽部の先輩から教えてもらい、宮川作品を採譜する折にふれ、なるほどなあ、と感じていたのだが、その宮川さんも、決して自身のエスプリを発露するような仕事だけではなく、さまざまな仕事、自身の本来の作風とは違う仕事でも、プロとして、全神経を集中し、誠実に取り組まれていたのだな、と、梅田コマのエピソードを聞いて、感じ入ってしまったのである。
そして才能に溺れることなく、音楽を通じ聴衆に喜びを伝えることにひたすら打ち込まれた謙虚さに心底、参ってしまった。

そんな宮川さんとじかに接したからだろうか、マスターもとても謙虚な方だった。そして真摯に音楽が好きだった。最後にマスターに質問した。「プロドラマーとして成功されたのに、もう演奏活動はされないのですか?」と。

マスターは答えられた。「俺は音楽が素晴らしかった時代に生き、十分に良い経験をさせてもらった。若い世代に道を譲ろうと思ったんだよ。」と。

あれからもう10年。宮川さんも亡くなった。今でもふと、新幹線に飛び乗り、京橋のマスターに会いに行きたくなる。お元気で居られるだろうか。


第21回 宮川 泰 氏 | Musicman-NET



ウナ・セラ・ディ東京と岩谷時子さんと

昨日から、なぜか「ウナ・セラ・ディ東京」の切ないメロディが頭から離れなくなり、この曲について思いを巡らす週末を過ごした。

この曲のファーストレコーディングは1963年。作詞は岩谷時子さん、作曲は宮川泰さん。ずいぶんオトナになってから、このコンビは故郷関西に縁が深いと知り愛着が出たのだが、かねて尊敬していた宮川さんはともかく、岩谷さんについては全く知らなかった上に、恥ずかしながら詞はほとんど味わっていなかった。

岩谷時子さんは1916年生まれ。西宮市で成長期を過ごされ、名門・神戸女学院大学を卒業後、当初、宝塚歌劇団出版部に勤められた。編集のキャリアを積む中で文才に磨きをかけられたのだろう。36歳で訳詩を手掛け、その後、素晴らしい歌詞の数々を世に送り出された。

この作品を出したとき、岩谷さんは47歳。ちょうど今の自分と同い年ということになる。頭を離れなくなったのは、実は、この歌詞の主人公の気持ちについて思いを巡らしたからだった。

主人公は別れたことを悲しんではいない。別れから時が過ぎようやく落ち着いた頃のようだ。なのに、そんな彼女の目に涙がにじむ。

そうか「涙を落とす」じゃなく「涙がにじむ」だったのか、と今更ながら気付いた。主人公には感情を鎮めようとする強さがあるのだろう。自分は男性ながら、そんな彼女には愛おしさを感じてしまう。

ブリッジ(サビ)で彼女は、別れた人が自分に思いを残しているだろうか、と追想する。ふつう女性は別れるとキレイさっぱり忘れ去るものと理解していたが、彼女は違う。そして「とても淋しい」と非常に、非常に素直に独白する。ふつうこんなに素直に「淋しい」という言葉を、大人は言わない。もとい言えない。

彼女の淋しさは「忘れられない自分」ゆえだったのか。それとも「新しい恋を見つけたであろうあの人」ゆえだったのか。それとも違う理由だったか。
そのあたりのメンタリティは、自分にはまだ理解できないのだが、悲しくはないが涙がにじむほど淋しい、と素直に言う彼女に、ふと寄り添ってあげたくなるような心持ちがしてしまう。岩谷さんは、実は男心をくすぐる名人だったのかも知れない(笑)。

偶然知ったのだが、今日10月25日は岩谷さんの命日だそうな。「もっと歌詞をかみしめなさい。歌を味わい、歌を楽しみなさい。」と岩谷さんはおっしゃてくれたのかも知れない。

著作権ロイヤリティは「B to C」では回収できないこと

先月の文化審議会著作権小委員会で、汎用ストレージ(クラウド)サービスについて、JASRACなど権利者側が意見を述べた。

その際、T氏というインターネットユーザーを代表する委員が、公の立場にあるにもかかわらず、一私人として反対意見を批判的にツイッターにアップしたことから、「2ちゃんねるまとめサイト」などを通じて、妙な風評が広まった。さらにその風評を受け、ネットメディアが以下のような記事を出した。

JASRACの発言が波紋 クラウドサービスに保存した音楽データにも著作権料は発生するべきか

私は、まずT氏の行動がそもそも委員として軽率であり、他の委員に対し失礼だと思う。そして、いかに意見を異にするとはいえ、国の公式な審議会でこのようにお行儀悪く振る舞うことは、代表者自らがインタネットーユーザーの立場を貶めているようで、とても見苦しいと感じる。

 

ともかく、風評が高じ、上記リンクのような記事がマス媒体から出たのを見て、やはりストレージサービスの実態を考慮した見解がネット上に必要なのではと思い、拙いながらも本記事を書くことを思い立った。

 

1 ストレージサービスの実態と著作権侵害の当否について

私は、上記記事で、記者が「背丈よりも巨大なサーバーは私的な利用とは言えない」などという、権利者側の委員が説明上の比喩として使ったにすぎない言葉をさして「委員の理解のほどが窺い知れる」などと思慮の浅いコメントしている点に問題を感じている。まず汎用ストレージ(クラウド)サービスが著作権を侵害するのかどうか、しっかり考えることが必要なのだ。

ユーザー本人しか使わない個人専用ストレージが、私的複製(著作権手続きは不要)にあたることは論を待たない。

ところが、上記リンクでも書かれているDropboxというサービスなどは、ユーザー本人が外出時などにアクセスするような個人用途より、圧倒的に友人らと共有するために使われているのが実情のようである。共有する範囲が著作権法に定める「家庭に準ずる範囲」ならともかく、それを超えれば明らかに私的複製とは言えず、送信可能化(公開アップロード)にひとしい。

かつて東京高裁で「ファイルローグ」というファイル共有サービスについて、著作権侵害にあたるかどうかが争われた。原告はレコード協会加盟社など、被告はサービス運営会社である。
ファイルローグは決して音楽専用サービスでも何でもなく、汎用ファイル交換サービスである。にもかかわらず、裁判所はサービスの差し止め請求を認めた。それはファイルローグでは、かなりの比率で、レコード会社やJASRACの権利を侵害するようなファイルがやり取りされていた実態があった(つまり裁判所が認定するような証拠を原告が出した)、ということを示している。

ストレージやクラウドというと、表向きには私的領域に留まり、権利者が四の五のいうべき筋ではないように見える。しかし、今回の審議会小委員会で、権利者側が著作権侵害について強く警戒したのは、表向きは個人ロッカーだが、実態はコンテンツばらまきツールと化しているサービスが思いのほか多く、権利者側は、実態をつかんみだしたことを示しているのだろうと私は推測している。

2 権利者の本音は、[B to C]ではなく[B to B]で済ませたいということ


そしてインターネットユーザー側が圧倒的に「考え不足」と思うのは、いかに権利者が強力としても、ひとりひとりのユーザーに対し、B to Cでお金をとっていくのは、まず不可能という現実を忘れているということ。それに「タダで楽しみたい」という我欲レベルにとどまり、文化の維持発展や、コンテンツは日本の将来の財源、という視点が出ていない、ということである。

インターネットユーザーはおそらく若い世代が多いのだろう。文化コンテンツをタダで享受したいあまり、コンテンツを供給する側、つまりそれで生活する職業人たちのふところ事情をおもんばかるだけのメンタリティが無いのだと推察する。

権利者側は、一人一人のインターネットユーザーに直接ロイヤリティ(つまり文化維持のコスト)を負担させたいとは思っていまい。そんなことしたら経費倒れになってしまうからである。

たとえば、JASRACが「利用主体性」について判例を重ねてきた経緯をながめても、彼らは、個々のエンドユーザーではなく、その事業から収益を得ているプロの商売をしている連中からロイヤリティを得たいと考えている(=B to B)ことは明白であろう。

そして、権利者らがストレージサービス事業者に文化維持コストの負担を求めている姿は、けっきょく、クリエイターがアグリゲーターに抗しがたい歴史的構図の投影のようにも思える。

一連の風評やマスコミ記事は、権利者側を揶揄するレベルにとどまり、ストレージ事業者がどのように対応する所存かについて、何も触れられていない。これは一体どうしたことか。Dropboxなどのストレージ事業者の考えを是非取材されたい。

最期に。
若いインターネットユーザーは、目先の悦楽を享受したいがために、彼らの次の世代に不毛の砂漠を広げているのかもしれない、と思うのだが、それを口にするのは、きびしすぎるのだろうか...。