音楽とか文化とか

その時々に考えたことをとりあえずメモしています

放送分野の音楽著作権管理の将来像を考える(1)

「包括許諾」と「サンプリング分配」の復習

放送では楽曲が大量に使われます。そのため、音楽著作権の権利処理では、ユニークな方法が採られています。「包括許諾」と「サンプリング分配」です。

まず「包括許諾」の復習からはじめましょう。

著作権法は「専有権にもとづく事前申告」を利用者に求めています。しかし、大量使用を前提としている放送利用では、曲ごとの事前申告は、実質不可能です。このため、一定額の使用料担保と引き換えに、全レパートリーの利用を一旦認めてしまい、曲目報告を後に回すことを許す「包括許諾」という方法が考えだされた訳です。遅くとも前世紀前半に西欧で考え出された、伝統的な許諾方法です。

この方法、権利者にとっては、決してベストとは言い難いものです。

それでもこの方式が採用される理由は、主に利用者側(つまり放送局)の利点にあります。この方式により、放送局は、コストと手間を一定に抑えつつ湯水のように楽曲を使えるようになります。

包括許諾を許さざるを得なくなる背景には、必ず利用者側に何がしかのアドバンテージが存在します。放送局の場合、そもそもメディアの覇者として強力なこと。飲食店の場合、無許諾利用してもバレない、見つかりにくい、ということなどです。

権利者からすれば、本当は曲別許諾が望ましい訳ですが、手間とコストがかかる。そんな権利者と放送局のシーソーゲームから生まれたのが「包括許諾」なのでしょう。

この「包括許諾」方式の鍵は、権利者側が大量のレパートリーを持っていないと、放送局にメリットが生まれないため、成り立ちにくい点にあります。放送利用を扱う著作権管理が団体が、世界的に見て、ことごとく集中管理スタイルである理由は、放送分野での包括許諾が最大の要因になっていると考えられます。

包括許諾の背景には、メディアの覇権者である放送局に対し、権利者側(つまりクリエイター)が、根源的に弱者である構図が見て取れます。このような視点に立つと、集中管理制度は、メディアの覇権に対抗するための、立場の弱い権利者側がもうけた「盾」で、包括許諾は、それでもなお権利者側の弱さを露呈する「妥協点」だった、とも考えられます。

(つづく)